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日々のこと


by oosukakenchiku

泣きました。

 夜回り先生のブログです。

 
  あるテレビ番組に出演した翌朝でした。私の携帯電話が鳴りました。私が電話を取ると、「水谷先生、嘘つき」という一言が聞こえてきました。懐かしい声でした。「おおジョー、久しぶりだな。でも、先生何かお前に嘘ついたか。だいたい、お前とこうやって話すのも、お前の卒業以来だろ」 そう答えると「先生、ごめんごめん。驚かせたね。でも、先生昨日のテレビで言ってたよな。自分は、二十二年の教員生活で、ただの一回も生徒を怒ったことも、殴ったこともないって。先生、忘れたのか。俺のこと殴ったことを」うれしそうな声でした。私は、思い出しました。
 ジョーは、私の定時制高校に入学する前から、人騒がせな生徒でした。事件は、もう彼が入学する前から始まっていました。彼が入学試験を受験したその合格判定会議が、すべての始まりでした。合格判定会議は、試験の採点や面接の結果をすべての生徒について一覧票にし、得点順に並べ、一人一人の受験生について、合否を判定していきます。この年は、受験生が入学定員より少なく、全員合格であっという間に判定会議は終了のはずでした。その判定会議がはじまるとすぐに、副校長が手を挙げ発言を求めました。「判定会議前に重要情報があります。私は、中学校からこの学校に転任してきましたが、前任の中学校の生徒指導の教員から、***番の受験生について、貴重な情報がありました。この生徒は、中学校で様々な暴力事件を学校内外で起こし、今回も少年院から法務省の特別の許可で、うちの高校を受験してきたそうです。非常に粗暴な生徒で、この高校に入学しても、非常に迷惑をかける可能性があるとのことでした」私は、怒りました。 「ちょっと待ってください。なぜ、そんな先入観を判定会議前に私たちに持たせるのですか。中学時代に何があろうと、私たちには関係はありません。私たちと一緒にこの高校で学びたいから、やり直しをしたいから受験して来たんでしょう。犯した罪についても、少年院で償い、法務省の方々も、そのやり直しを支援したいから、院内からの受験を認めたのでしょう。副校長、あなたがこの生徒について、過去の情報を先入観として、私たちに入れたこの時点で、この生徒は合格です」 それからは、大変でした。「水谷先生、せっかく副校長先生が善意で知っていることを伝えてくれたのに、その言い方はない」、 「いや、水谷先生の言うとおりで、過去は関係ない。この生徒の明日のためにも、入学させるべきだ」、「もし、この生徒が入ることで、この生徒と同じ中学校から受験している生徒が怖がって高校に来れなくなったら、それこそ大変な問題だ」けんけんがくがくでした。なかでも、強くこの生徒の入学に反対していたのは、五十代の一人の先生でした。彼は、剣道の名手で非常に厳しい先生でした。中学校から夜間高校にきた先生でしたが、ともかく非行傾向を持つ生徒に厳しく、いつも生徒たちとぶつかる先生でした。深夜遅くまで話し合い、最後は、多数決で僅差で合格が決まりました。すべての教員がただ疲れ果てた会議でした。私は、「よかった、守ることができた」という安堵感で幸せでした。
 しかし、何の巡り合わせか、あるいは、多分意図的に、ジョーは、入学後、その彼の入学を最も強硬に反対した彼のクラスになりました。入学式当日のジョーは見事でした。肩を怒らせ、周囲を教員にまで、その目と態度で、喧嘩を売っていました。私は、入学式が終わった後、彼を自分の部屋に呼びました。すぐに帰れないことを一目でわかるほど不満そうに、部屋に入ってきたジョーは、私の向かい側のソファーにだらしなく座ると、「何の用だよ」とにらんできました。私は、彼に入学判定会議でのすべてのことを話しました。彼の顔は赤らんでいき、彼のからだは怒りに震えていました。「中学には、お礼参りだな。先公この学校で、俺の入学に反対した連中の名前教えろ。みんなぶっ飛ばしてやる」彼は、椅子を立ちました。私は、彼をもう一度椅子に座らせました。 「私は、水谷。名前は夜の世界で聞いたことあるな」私は静かに話しかけました。 「水谷ってお前か。聞いてるよ。先輩からも、年少の先生や仲間からも」 「水谷がなんでこうやって、すべてをお前に話したと思う。お前を嫌う連中をぶっ飛ばさせるためだと思うか。この高校の多くの先生方が、お前のことを信じてるんだぞ。俺もだよ。お前は、やり直しをしたくて、この高校に入ったんだろ。もし、復讐すれば、それこそ即退学、年少に逆戻りだよ。それより、きちんとこの高校を続けて、きちんと卒業することが、一番の復讐なんだと思わないか。お前は、だめなやつだと思っている連中に、俺たちの誤解だった、悪かったと思わせよう。この高校には、これからもお前のようにたくさんの子どもたちが、少年院から受験してくるだろう。また中学時代いっぱい悪さをした子どもたちも。お前が問題を起こして、退学になったら、来年からは、その子どもたち、お前の後輩たちは、この高校に入れなくなるぞ」 彼は、下を向いて考えていました。ぼそっと 「じゃあ、水谷先生、どうすりゃいいんだよ」彼は聞いてきました。「えらいぞ。それじゃ、約束だ。まずは、休むな。授業をさぼるな。うちの高校にもいろいろな生徒や先生がいる。嫌な思いをさせられたり、喧嘩を売られることもあるだろう。でも、絶対に喧嘩は買うな。ともかく何があっても、俺にまずは言え」彼と約束をしました。
 彼は、よく頑張りました。鉄筋工の見習いに、朝から高校に登校する夕方まで必死で現場で働き、教室では眠い目をこすりながら授業。でも、さすがに、週に最低一度は、沈没。さぼりました。そんな日は、私に「先生、すまない。今夜は学校は無理。勘弁」私は、 「いいよ、三分の一は休んでも大丈夫。今夜はゆっくり遊べよ」あんまり教員としては、ふさわしくないことばを言っていました。反省です。私は、彼の担任からは、いつも、「水谷さん、いい加減にしろよ。かわいがるのもいいが、いつかあいつは、地が出るよ。その時は、先生にも責任あるからな」いつも、うれしく責められていました。彼は、先輩からの、でも特に担任からのなかなかの嫌がらせにも、よく耐えていました。私も、腹が立ったときによくやることですが、にやっと笑い、ちょっとにらみつけてはいましたが。夏休みには、バイクの免許も取り、「先生、これで秋からは遅刻はないぜ」胸をはっていました。
 次の年の秋の文化祭では、生徒たちの有志、特に私の関わっている子どもたち、つまり一番問題を抱えた子どもたちと私が出した屋台で、松茸ごはん(ちなみに松茸は中国産冷凍、ただしお米は私の田舎の山形の最高のお米、一杯二百五十円)を、地域のお年寄りに、弁当箱一つ二百五十円でたたき売りしてくれました。六十キロの米と五キロの冷凍松茸が完売。でも、もうけはなんとほとんどなし。彼のせいでした。先輩たちから、「お前のせいだぞ」叱られながら「でも、年寄りたち、喜んでたぞ。松茸ごはん生まれて初めて食べるんだって。そういえば、俺もはじめてだ」笑顔で輝いていました。
 二年間よく頑張りました。顔からも、あの夜の世界の子どもたちの独特の目の厳しさや肩の怒りが消え、優しい大人になりつつありました。たまに、地元の夜の町の夜回りで、ばったり彼と会うと、「先生、そろそろ引退しな。俺が夜回りやってやるよ。今夜は帰れ・俺がいるから大丈夫」私を。学校で、夜の町で、よく支えてくれました。
 高校三年になり、彼には、恋人もできました。同じクラスの留年生。病弱なお母さんと中学生の妹を支えながら、型枠大工のアルバイト、仕事のしすぎで一年生で一回留年、二年生でも留年、でも明るく輝いている二つ年上のお姉さんでした。お互いに眠い目をこすりながら、隣同士の机で支え合っている姿、ときどき廊下から苦笑いをしながら見ていました。でも、ジョーの担任は、嫌い続けていました。私から見ても、度が過ぎるほど、強い指導を続けていました。私も甘かった。担任に私が何か言えば、それがジョーや彼女に何かの形で返される、そんな思いで、ただ黙って見ていました。
 事件は、三月の末、それも進級判定会議の直前に起きました。もう授業はすべて終了、私たち教員が、成績をつけ学期末の事務処理をするために、生徒については、担任によるホームルームを行い、一年間の反省をさせて返す日に起きました。ジョーの彼女は、その年も仕事による欠席が多くあと一日の欠席で、出席日数不足で、留年どころか退学しなくてはならない瀬戸際に立っていました。
 その日、彼女の働いている現場で、事故が起きました。お年寄りの彼女の同僚が、足を滑らせてけが、彼女は病院まで連れて行きました。そして、ものの見事に遅刻です。しかも、ホームルームが終わる寸前に教室に駆け込みました。その瞬間に、担任は 「おい、留年決定。さようなら」、ジョーは頼みました。「先生、勘弁してくれよ。来たじゃねえか。出席にしてくれよ。理由聞いてくれよ」、担任は言いました。「うるさいぞ、ジョー。お前も一緒に辞めるか」その一言でジョーは切れました。「退学上等。辞めてやらあ」クラスの仲間たちが止めるのも間に合わず、担任の胸ぐらを掴み、一発顔を殴りました。担任は口を切り血だらけです。ジョーは、「おい、帰るぞ」彼女と二人バイクで学校を出ました。
 私のもとに、彼の担任はすぐに駆けつけてきました。助かりました。校長室に報告に行く前でした。彼は、血だらけの口をハンカチで押さえ、「水谷先生、これが先生が守った生徒のしたことだよ。彼には、辞めてもらう」そう私に言いました。私は、「まずは先生、保健室で治療を。先生、ジョーからも事情を聞いてそれからきちんと始末をつけましょう」、彼を保健室に送りました。私は、すぐに関係している生徒たちを呼び、「なんとしても、ジョーをここに連れてきてくれ。一分一秒も早く」と頼みました。「嫌だと言っても、首に縄をつけてでも、引きずってでも連れてきてくれ」そう頼みました。
 一時間もたたずに、学校近くの公園で彼女と二人、ベンチに座っていたジョーを仲間たちが、私の部屋に連れてきてくれました。「先生、ごめん。でも、我慢できなかった。辞めるよ。もういい」そう言う彼に私は、「待ってなさい。まずは、お前が殴った、彼を呼ぶから。謝りなさい」そう言いました。「いくら先生の言うことでも、聞けないことあるよ。謝らないよ。絶対」そう言う彼を椅子に座らせ、側にいた生徒たちに、担任の先生を保健室から呼んでもらいました。「水谷先生、もう会っても無駄だよ。いつもあんたは言うよな。子どもたちに。したことは償え。水谷さん、もう校長に言うよ」私は、彼に言いました。「先生、あなたの傷は、何週間かで治る。でも、こいつを退学にしたら、こいつのこころについた傷は一生残る。勘弁してくれませんか」でも、無理でした。「水谷さん、あんたの言うことはわかる。でも、こいつを甘やかしたら、こいつはこの先もっと悪いことをうちの学校でする」もう彼の目は、怒りですわっていました。
 私は、ジョーの胸ぐらを掴み、彼を椅子から起こしあげました。「ジョー、謝れ。ほら謝れ」ジョーは、私から目を背けました。私は彼を殴りました。思いっきり彼の顔を拳で殴りきりました。「先生、このぐらいですか。もっとですか。ジョー、人に殴られる痛さわかったか。どんなことがあっても、人を傷つけては駄目なんだ。水谷も責任を取る。一緒に校長先生のところに行こう。お前は、担任を殴ったことで退学。水谷もお前を殴ったことで、首。いいな」私は、担任にいいました。「先生、校長室に行きましょう」彼は、「もういいよ。この傷はころんだから。もういい」部屋を出て行きました。
 ジョーは、泣いていました。「ごめん」私が声をかけると、「先生、いいよ。本当は。先生のほうが痛かったろう」そう声をかけてくれました。私も泣いていました。
 ジョーは、私が教員として、最初で最後に殴った生徒でした。
 次の日、ジョーの担任が私を呼びました。私は、彼の話を一時間以上聞きました。彼の息子は、彼の厳しい指導に耐えれず中学から夜の世界に、彼と息子は、中学そして高校中退そのときまで、会えばぶつかり合い、家の壁に穴を開け、奥さんが泣きながら彼を押さえるまで、徹底してぶつかり合ったそうです。厳しく指導すれば、更生する。それを信じて、息子が夜の町に入れば入るほど、追いつめ殴り、そして、最後には家まで追い出しました。彼は、寂しく言いました。「今、どこにいるのか。多分暴力団。そんなうわさは聞いてる。水谷さん、昨日わかったよ。力では解決しない。信じてやれば、抱きしめてやれば、待ってやれば・・・。でももう遅いな」寂しそうにつぶやきました。「先生、もしよければ、水谷が息子さん探しますよ。水谷は、夜の世界の人間です。顔はききます。もう一度、優しくぶつかってみませんか」彼は、寂しそうに顔を横に振りました。「水谷先生、いいです。実は今も、息子のいるらしい町を週末は、ずっと息子を捜し回り妻と歩いています。会ったら、会えたら、土下座して謝ります」  子どもたち、大人とは何でしょう。多分人間として完全な存在のことです。本当の大人なんているんでしょうか。自分は大人だとほとんどの親や先生は思っています。でも、違う。人間として完全な存在の大人なんて、実はこの世界に一人もいません。この世界のすべての人は、実は子どもなんです。不完全な存在なんです。でも、人は、子どもを持ったり、地位や立場を手に入れると、完全な存在である大人のふりをします。それが、本当の子どもである君たちを偉そうに傷つけています。でも、決して、喜んで楽しんでではないのです。
 子どもたち、実は、多くの大人たちも苦しんでいます。自分が不完全な存在だと言うことを知りながらも、君たち子どもたちの前で偉そうに、語ることが、どんなに汚いきついことか知っているからです。
 子どもたち、君たちを傷つけた、傷つけている大人たちを許してくれとは、いくら私でも言えません。でも、わかって欲しい。彼らも、君たちと同じ子ども。苦しんでいるんだと。  
                                               今夜は泣きました。
by oosukakenchiku | 2019-01-26 22:00 | その他 | Comments(0)